アンバー・アドラー・ペップトーク
お風呂は思考の整理場所。
シャワーを浴びているときに考えがまとまることが多い。
今日考えたのが、子供との距離感、声のかけ方について。
世の中の人たちがみんなアドラーの考え方を持てばいいのにと思ったことがある。しかし現実問題そうはいかない。
【アドラー】
基本的に、相手が誰であろうと、同じ人間として接すること。上下関係を作らずに、相手を信頼すること。(無条件に相手を信じること)相手の結果については、一緒にどうすればいいのかを考えていく。褒める、叱るはしない。認める。
干渉をしない。なぜなら、その人の人生だから。その人の人生を背負うことができるのか?親でさえ背負うことは不可能だ。馬を水辺に連れていくことはできるが、水を飲ませることはできないという考え方。
【アンバー】
法と秩序が絶対の組織。教師が目指す思想に近づくことが大前提とされる。特に一斉指導型の先生はこっちのパターン。人の話は黙って静かに座って聞くこと。手を挙げて発言すること。すでにあるルールから逸れると叱られる。ルールに乗っ取って活動すると大いに褒められる。説明の仕方が悪いかもしれないが、結構一般的な学級の姿。特に自分たちが子供世代のときはほぼこの型だったと思われる。(現在も多いはず)
体感的には、職員室内は1:9くらいの割合ではないか。
感覚としては、この2つは対極的な考えな気がしていて、相容れないと思う。
実際、最近かなりアドラー寄りな自分は、子供の意思を育む教育を心がけているけれども、その過程で、子供たちが騒がしくなること、先生と子供の距離が近くなりすぎることもある。(極端な話、アドラーに言わせると、先生と子供たちは対等なので、タメ口、あだ名で呼ぶことなど全然アリなんだと思う。実際はタメ口やあだ名で呼ばれることが苦手なので自分は許していない。)
そうすると、ベテランの先生方との話や方向性が合わないのを感じるようになる。
他の人から「甘い」「優しい」と思われたり。
育てたい子供像と先生たちとの方向性のバランスがすごく難しいと感じていた。
そこで、間を取る方法なんじゃないかと思うのが、最近話題になってきている「ペップトーク」だ。
注目すべきは声のかけ方。
素質や才能は「認める」
努力や過程は「ほめる」
成功や成就は「喜ぶ」
※おにパパさんの学びから引用
まさに間を取れる考え方、話術なのではないかと思う。
まっだペップトークについての知識は足りないけど、いずれ学んでいきたい分野。
あー、小学校って奥深すぎて学び足りない・・・