コーチングが人を活かす
コーチングが人を活かす
前から興味はあったコーチングの本。積ん読されていたので読んだ!
コーチングとは・・・自分の中に答えを作るのを促進するコミュニケーションスキル。しなければならないをしたいに変える。
コーチングスキルが50載っていたので、初めて知ったことや改めてやってみようと思ったことを書き綴っていく。
Part 1 相手の中から答えを引き出す
スキル3 答えられる質問
いきなり引き出そうとするのではなく小さい質問から少しずつ少しずつ。
スキル4「なぜ」と「何」
なぜと聞くと問い詰められているような気持ちになる。何と聞くことで対象をあなたから物に変える
スキル5 沈黙する
「ゆっくり考えて。黙っていますから。」と伝えることであなたには答えを出せると信頼していることにもなる。沈黙が怖くなくなる。
スキル7旅に出す
答えが出ないときに答えを出せるようにするための方法はなんですかと聞く。本を読んだり誰かに聞いたりするといった行動をとるようになる。
スキル9向こう側から見る
相手の立場に立って考えるには、相手に関する質問を自分自身に問いかける。
スキル10究極の質問火事場の馬鹿力を意図的に作り出す。もし〇〇だったらどんな行動をとりますか。煮詰まっている人に有効。
Part 2 安心感と自信を与える
スキル17四つのタイプ
①コントローラータイプ
②プロモータータイプ
③アナライザータイプ
④サポータータイプ
自分と相手のタイプを知ってお互いの良い部分を最大限に活用していく。
Part 3 未来への夢を抱かせる
スキル25行動は「いい感じ」から
嫌な感じがやってきたら行動を起こした結果の良い事をイメージする
スキル28チェックリストを作る
Part 4 新しい視点を与える
オリジナルのチェックリストを作る
スキル34本当の提案をする
提案のつもりが命令になっている場合がある。そこにノート言える自由があるかが基準。
スキル35とんでもないリクエスト
目標の量を2倍にする、または2分の1の時間で達成すると決めてもらう。そのリクエストに応える力が既に相手の中に存在していると言う深い信頼感も込めて。
スキル36コーチさせる
コーチングが煮詰まったら立場を入れ替えてみる。
Part5 自発的な行動を促す
スキル37フォローする
一瞬盛り上げて終わるのではなく相手が確実に行動起こすまで伴奏する。1週間たったら状況教えてね。結果を聞きとどける。
スキル39クローズドクエスチョン
イエスかノーかを迫る質問をする。信頼関係があれば質問3回に1回はこれで良いかもしれない。愛と勇気をもって。
スキル40ファイヤー
最後に必ずやってくださいねとストレートにリクエストする。火をつける。
スキル43エネルギーを蓄えさせる
エネルギーを補充する人それぞれの方法を見つける。
Part 6コーチの達人に向けて
スキル48最後まで引き出す
全く何の落としどころもなくクライアントに立ち向かう。であなたはどうするの?絶対あなたの中にあると心の中で大音声で叫びながら。
さらに、「こんな場合はこのスキルが使える」約30収録
(例)部下の提案やアイデアが引き出せない
→スキル22、スキル30、スキル116
といった具合に書いてある。
「部下」を「子供」に置き換えると使いやすそうな付録。
初のコーチング本。
これを基にして若松先生の本も読んでみたいなぁ。理解度高まりそう。
1つでも多く使っていこう。
ストレスの正体
生きているとストレスは避けて通れない。
ストレスを普段感じないという人はもう人格がすばらしいので読まないで結構です笑
普段感じるストレスを少しでも減らすことができたらいいなと思っています。
個人的に特に伝えたいことは、
・期待せず小さな成長を認めること。
・ストレスを感じる作業に付加価値を与える。
■ストレスの原因チェック
そのストレスを向けている対象は他者?自分?
(1)他者へのストレスの場合
結論から言うと、他者を変えることが無謀です。大きく分けて2つの可能性が。
・相手に期待している
・相手をコントロールしようとしている
期待してしまうと、自らが上げたハードルと現実にギャップが生じます。
それがストレス。
思うようにならない相手に怒りをぶつける。ただ支配しようとしているだけ。
→期待するのではなく、相手が自分と同じ方向を向いたときに寄り添ってあげよう。
自分だったらそれがうれしいと思う。
この辺はアドラー心理学を学ぶことで、解決できると思います。大好きな本。
(2)自分へのストレスの場合
これはいくつかパターンがあると思う。
今回は2つに絞って分けてみることにする。
①自分の能力が足りないと感じる時
あります。余裕でありますね。大きな原因は(1)の時と似ています。
自分に期待しすぎ。
(がんばったのに結果が出ない。自分は才能無いんだ。)
というのが間違い。やったら結果が出ないことはあることを前提にしよう。
その上で、小さな成長を認めるくせをつけたい。
「少しだけど前よりできるようになった。その積み重ねが成長」というマインドを持てるようにしたい。
②やりたくないけどやらなくてはいけないことがある時
あります。
このことをじっくり考えていたんだけど、なんでストレスが生まれるか分かった。
自分が選択していないことを強制的にやらされている感覚だからだ。
ということは、やりたくないことには付加価値をつけてあげればいい。
やりたくないことに自分がやりたいことをプラスする。
[例1]職員会議
やたらと長かったりする。その時間を何か有意義なことに使えないかと考えてしまう。(分かっていることを長々と話されるとどうしても有意義とは思えないため)
オススメはしませんよ!けど自分は内職をする。
この時間に他の人の迷惑にならず、スピーカーへの集中を切らさず、できる簡単な作業をする。
そうすると一気にその時間が幸せな時間(言い過ぎ?)へと変わる。
自分で選択した行動をとっているから。
[例2]フットサルのボールボーイ
県のリーグ戦を行っていると、年間1~2回は自分のチームがその日のコートつくりや審判、ボールボーイなどの運営を行わなければならない。
その試合中のボールボーイの時間はなかなか退屈だ。4試合なんかあるときはしんどいにもほどがある。だから自分はその時間中、自分の利き足と逆の足でボールをいじりまくっている。逆の足を練習する時間なんて普段あまり取らないから、自分にとって有意義な時間になる(ように思える)。
働いているとこういう場面っていっぱいある気がする。
その時間に付加価値を与えるだけで幸せな時間に変わるなんてミラクル。
最後に
個人的に・・・
ストレスは成長のチャンス。最近の金言(造語なり)
感じたストレスを乗り越えた時、成長が待ってる。
だから自分はストレスが少しかかる場所に身を置こうと心がけてる。
・自分より上手い人たちがたくさんいる競技フットサルにチャレンジ
→プレーのストレスが減るってことは判断力アップ・プレーの選択肢が増えている
・読書交流会を企画・開催
→読書のスピードアップとアウトプットの質の向上を図る(これは他のメリットもあった!つながり)
あー、やっぱり自分の考えをまとめるとスッキリする。
一生一緒にいるであろうストレスくんと上手にお付き合いしていきたいものです。
アンバー・アドラー・ペップトーク
お風呂は思考の整理場所。
シャワーを浴びているときに考えがまとまることが多い。
今日考えたのが、子供との距離感、声のかけ方について。
世の中の人たちがみんなアドラーの考え方を持てばいいのにと思ったことがある。しかし現実問題そうはいかない。
【アドラー】
基本的に、相手が誰であろうと、同じ人間として接すること。上下関係を作らずに、相手を信頼すること。(無条件に相手を信じること)相手の結果については、一緒にどうすればいいのかを考えていく。褒める、叱るはしない。認める。
干渉をしない。なぜなら、その人の人生だから。その人の人生を背負うことができるのか?親でさえ背負うことは不可能だ。馬を水辺に連れていくことはできるが、水を飲ませることはできないという考え方。
【アンバー】
法と秩序が絶対の組織。教師が目指す思想に近づくことが大前提とされる。特に一斉指導型の先生はこっちのパターン。人の話は黙って静かに座って聞くこと。手を挙げて発言すること。すでにあるルールから逸れると叱られる。ルールに乗っ取って活動すると大いに褒められる。説明の仕方が悪いかもしれないが、結構一般的な学級の姿。特に自分たちが子供世代のときはほぼこの型だったと思われる。(現在も多いはず)
体感的には、職員室内は1:9くらいの割合ではないか。
感覚としては、この2つは対極的な考えな気がしていて、相容れないと思う。
実際、最近かなりアドラー寄りな自分は、子供の意思を育む教育を心がけているけれども、その過程で、子供たちが騒がしくなること、先生と子供の距離が近くなりすぎることもある。(極端な話、アドラーに言わせると、先生と子供たちは対等なので、タメ口、あだ名で呼ぶことなど全然アリなんだと思う。実際はタメ口やあだ名で呼ばれることが苦手なので自分は許していない。)
そうすると、ベテランの先生方との話や方向性が合わないのを感じるようになる。
他の人から「甘い」「優しい」と思われたり。
育てたい子供像と先生たちとの方向性のバランスがすごく難しいと感じていた。
そこで、間を取る方法なんじゃないかと思うのが、最近話題になってきている「ペップトーク」だ。
注目すべきは声のかけ方。
素質や才能は「認める」
努力や過程は「ほめる」
成功や成就は「喜ぶ」
※おにパパさんの学びから引用
まさに間を取れる考え方、話術なのではないかと思う。
まっだペップトークについての知識は足りないけど、いずれ学んでいきたい分野。
あー、小学校って奥深すぎて学び足りない・・・
雑草を抜きながら考えた話
ここは緑の国。多種多様な植物が暮らしている。
人間でいう貴族・平民といった身分制度がある。手入れが簡単で見た目が美しい植物は好待遇を受けられる。四季折々の変化が可能な個体はそれはもう大切にされる。逆に、見た目が悪いと命を奪われるというある種残酷な世界だといえる。
観葉植物のように黙っていても水を与えてくれ、無料で美容院のごとくカットをしてもらえる存在を目指して生きている。そうなれるのはごく一部の植物だけだ。生まれた時から、大体運命は決まっている。人間に相手にもされないものや抜かれてしまうさだめだと悲しむものも多い。
しかし、簡単にあきらめない種がある。一般的に名前では呼ばれない植物たち。
そう、「雑草」だ。
雑草たちにも様々な性格がある。根をできるだけ広く伸ばし、効率的に栄養補給をするもの。根は直下型で、地面にしみ込んでいく水を長い時間キャッチしようとするもの。元々この場所に観葉植物として住んでいた者ですよ?という顔をしながら堂々と居座ろうとするもの。なるべく抜かれないように体をトゲトゲさせるものもいる。彼らなりの生存戦略だ。
雑草たちの多様性が非常に面白いと言える。
さて、本日はどの雑草誰が生き残るのかというサバイバル大会が開かれていた。完全に身内の遊びだ。
人間が草抜きを始めたという情報が入ったので、急遽決まったものだ。
最近は天気も良いし温度も高く、仲間たちの数はかなり多い状態で始まった。
仲間が容赦なく抜かれていく。今回の人間は本気のようだ。普段なら後回しにするはずの、根を広げるタイプの雑草を早い段階で抜きにかかっていた。予想以上の本気具合に雑草たちはビビり始めていた。
ここで人間の手が止まる。何かつぶやき始めた。
「これは雑草?でかすぎない?1mくらいあるぞ・・・」
人間は位が高い常緑樹さんと同じくらいまで背を伸ばした雑草界のドンの前で悩んでいた。さすがドン。もはや雑草には見えない。これはドンの優勝か・・・。と思われたのもつかの間、おそろしいほどのパワーで一気に抜かれてしまった。
なぜ分かったのか・・・答えは茎の部分だった。木と雑草では、茎の部分の質感の高級感が全然違うのだ。これはもうみんな全滅で終了かと思われたが、ここで思わぬ伏兵が登場した。
そいつのあだ名はもやしっ子。ぼちぼち背を伸ばすが、非常に細いためそう呼ばれている。あっさり抜かれる候補の一人だった。
人間は、不満そうな顔をしだした。
「まじかよ、根っこ抜けなかったー」
なんと、体の脆弱さが幸いしたのだ。結局、今回のサバイバル大会は全員が抜かれて、もやしっこは根だけ地中に残したまま優勝という形になった。残念なことに、他の全員抜かれてしまったので、誰もお祝いをしてくれなかったのがさみしい。
もやしっこは今回の経験を新入りの雑草たちに自慢することを決意したようだった。
植物たちは今日も住処を探してさまよっている。
それぞれの多様性を生かして種の繁栄を目指している。
叱るということについて考える。
久しぶりのブログです。
書きたくなりました。
自分のために始めたブログですが、もし参考になる人がいたら嬉しいとも思います。
叱ることのデメリットを再確認しました。
敬体だと他人事な感じがするので、常体でいこう。
ようやく新しい子供たちがなじんできた気がする。
新しい子供たちに先生のことを理解してもらうまでに2か月かかった。
さて、本題。
「叱る」という指導をせずに子供たちと生活していきたいと考えている私。
でもそれだけで上手くいかないこともあるという人も多いはず。
でも、「叱る」ことのデメリットを目の当たりにして、やっぱり違う方法を模索していくべきだと考えた。
今は多様な子供たちがいる時代。
座って静かに授業を受けられない、ルールを守れない子たちが多くなっているように感じる。
そうすると教師は「話を聞きなさい」、「なにやっているんだ」と注意をする。
よく考えよう。
強く注意をすると、子供たちはどうなるか。
①教師への不信感を募らせる。
②一時的に言うことを聞く。
③反発心が膨らむ。
①自分の気持ちを理解してくれない。頭ごなしに怒られた。あの先生に期待しない。
というケース。ヨシタケシンスケさんの「ふまんがあります」とかのシリーズ、まさに本人にしか分からない悩みを理解せずに叱るというのは良くないのでは。
そもそも、教師が子供たちの上に存在していなくては許せないタイプの人がここにハマるのではないか。
②③この先生がいるときにだけ言うことを聞かせる指導体制。これもまずい。他の先生のときにやりたい放題になることも。実際、小学校で押さえつけて教育して、中学校にいったらどうなってもいいのかな、とか思う。困るのは特に配慮児童。子供たちだって、体も心も大きくなる。膨らんだ反発心が少しずつ肥大化していって、いつか追い越してしまう時がくるはず。だから女性の先生で上に立とうとする学級では、崩壊することが多いのは高学年。越されてる。だから低学年が良いのよ私。っていう人が増えてくる。男の先生の言うことしか聞かないんだよねと。
違う、そうじゃない。やりかた、考え方、システムが悪いと思ってしまう。
書きなぐってしまったけど、配慮児童は本当に困っている。
先生がマウントを取る学級だと、配慮児童は入れない。友達も先生の言うことを聞くのが優先で、困っている児童は助けてもらえない。そりゃ教室を飛び出すでしょう。だれも助けてくれない。学校を出ちゃいけないっていう道徳心とせめぎ合ってるよ。
みんなと同じくできないことがあるって前提で目線を合わせてほしい。ハードルを下げてあげて、できたことを認めてあげる経験を積み重ねてあげないと自己肯定感がどんどんなくなっていって社会不適応な人間になるよ。
論点がずれてきた・・・
今回のテーマは、叱ることによって問題行動を起こす児童の様子をしかりと見たことで考えたこと。
思いがあふれた。
ここで一番言いたいことを言う。
叱ることでの大きなデメリットがあることに気付いた。
それは、児童の成功体験を奪うということ。
教師が大声を出して言うことを聞いたらそれは誰のためにやったことなの?
誰の成長なの?先生のためにやることの意義は?
「自分で決断してやったことが認められる」
にしていかなきゃ、意味がないと思う。
成功体験の前に問題行動はどうするの?
基本的には小さな問題行動はあまり触れない。負の行動は強化せず正の行動を強化する。これが自分の中の鉄則。
正の行動をするまで待つ。
当たり前のことだってできていたら認めることはできるわけだから。
リフレーミングがうまくできると正の行動は見つけやすいかもしれない。
成功体験ができる場を教師が用意しておいて、そこに乗っかってできたら認めてあげる。
これがやっぱり一番なんじゃないかと思えた最近だったわけです。
この考え方には賛否両論あると思うのですが、勇気をもってさらけ出してみました。
この話語り合いたいなあw
1学期残りわずか。がんばろう。軸をぶらさず。
人それぞれの生存戦略
最近考えていることがあります。
それは「生存戦略」について。
人はそれぞれの生存戦略を練って生活しているという風に考えるようになりました。
赤ちゃんを見ていたこと、そして嫌われる勇気がきっかけですかね。
赤ちゃんはすごい。
寝ていながら「泣く」という行動で大人を動かすことができます。
人を動かす天才ともいえそうです。
でもこれこそが赤ちゃんの生存戦略。
(生きるための作戦と言い換えることもできそうです。)
人は誰しも生存戦略を駆使して生活していると考えます。
さて、これを教員に当てはめてみると面白いと思いました。
パッと思いつく3パターンくらいで考えてみます。
①子供に任せる型
②司会者型
③指導者型
①子供に任せる型の人は、基本的に大きな声を出しません。
問題が起きた時は子供に投げかけます。
これからどうすればいいかを子供たちが考えることで、自分たちで考える力がつきます。
問題は、
・放任になってしまうと、子供たちがうまくまとまらないこと
・教師や保護者と食い違いが起きる可能性があること
です。例えば、なんで〇〇先生はあそこで怒らないんですか?など(笑)
子供たちの自律性を育みたいと考えている先生の生存戦略。
正直、覚悟がないと死ぬことがあります。
②司会者型の人は、子供の意欲を活用して授業していくスタイル。
目標に向けて子供たちの言葉を巧みに紡いでいき、楽しんで取り組んだ結果いつの間にかゴールしていたというのが理想か。
問題は、
・楽しいだけの授業になってしまう危険
・下手すると楽しくないと感じたらやる気になれない子になってしまう危険
等が考えられます。
「楽しさの中で学習を」と考えている先生の生存戦略。
なかなか子供の言葉を繋いでいく技術には自信がもてない人が多そうです。
③指導者型は日本の教員の中で最も割合が大きいと思われます。
仕組みが一番シンプル。
悪いことはきちんと叱る。大きな声で態度で良くないと思っていることを示す。
良いことはきちんとほめる。
問題は、
・教師の基準が歪んでいると子供や保護者から批判が出ること。
・教師の指導、称賛が無いと行動できない子供になる恐れがある。
等です。
規律を重んじる先生に多い生存戦略。
厳しい言葉で言うと、自分が担当した1年間のみを考えた学級経営といえるかもしれません。
どれが正解かどうかは一概には言えません。
先生のキャラクター、子供たちの雰囲気などが大きく関係しているからです。
時と場合によって、①、②、③の戦略を使いこなしていくのがよいのではないでしょうか。
ちなみに、自分は①を目指しています。
自分たちで問題を解決していける力が大切だと考えているからです。
①が80%
②が18%
③が 2%
くらいで学級にいますかね。
しかし、
教員は激務であることは間違いなく、残業をなるべくしないように、
授業構想を練り
学級経営をしていく
かなり大変な職業です。
だからこそ、どの生存戦略を選ぶかも自由ですし、文句も言えません。
③が一番簡単に子供たちが言うことを聞いてくれるんです。
荒れた学級を③のスペシャリストが担任して、良い学級にしてくれた。
しかし、次年度学級崩壊してしまった。
そんな話も聞きます。
①が良い!だから変えてやるんだ!みんなに伝えよう!
と思って職員室で声を上げたとしても、白い目で見られるでしょう。
だって、みんなそれぞれの生存戦略をもっているから。
信じているものを変えるなんてなかなかできない。
大切にしているものが違う人の意見を受け入れるのは難しいんですね。
だから本当に変えたいと思っている人は、
こっそり・・・
いつの間にか成果をだして・・・
根回しを・・・
がベストだと学んでおります^^
今回、教師についての生存戦略で考えを膨らませてみましたが、
子供の生存戦略を考えるとまた面白い~
不適応児童だって注目を浴びたいがために問題行動を起こしている可能性がありますよね。
それがその子の生存戦略。
その人が大切にしているものを否定するんじゃなく、理解した上で接していきたいと考えています。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
ゆっくり考えられるGW最高ですね・・・!
変化が嬉しい
久しぶりに更新することができました。
新しい環境になって約一か月。
駆け抜けてきました。
初めて振り返りジャーナルをやってみています。
今のところ、確実に個別でプチコミュニケーションの時間が確保できるツールといった印象です。
というのも、理念等を理解せずにやっているのもある。
しかし、最後ハイタッチをしてさよならをするため、なんかすがすがしい。
・毎日のテーマの決め方が正直よくわからない
・分量が少ないときに同じページに翌日の書き込みはOK?
こんな感じの疑問が残ります。
ゆるーく続けていきます。
気になっているのは、この学校、自主学習という文化は全くといっていほどありません。漢字ドリル、計算ドリルがメイン学習。子供たちは先生たちに出された宿題をやってくることが正解だと信じ切っている。
もちろん出された課題をこなすことができるというのは悪いことではない。
しかし、出された課題が少ないと+αは絶対にやらない。やると損した気分になる。そんな感じ。
自主性が皆無。
そこをどうにか崩したい。
そのために、
・小テスト→けテぶれ
・子どもに語る
・学級通信で伝える
・懇談会、家庭訪問で伝える
といった努力を地味に続けてきました。
なんだか、この子たちは賢いのか、小テストの点数がみんないいので、けテぶれを大きく回せていない印象。
少しずつ、少しずつ進めていく。
「先生、宿題はなんですかー。」
からの脱却を少しずつ図る。
さて、今日うれしかったことがあった。
クラスの中に、土日の連休では必ず金曜日に宿題をまとめてやって、土日は全く勉強しないという女の子がいる。
しかし言われたこと(宿題)はしっかりやってくることができる。
今日は家庭訪問最終日だったため、バタバタと子供を送り出し、家庭訪問に向かった。
その子の家にも訪問した。学習の仕方についてお母さんと確認したが、やはりまとめて最初にやるタイプとのことだった。
家庭訪問が終了し学校に戻って、振り返りジャーナルに目を通した。
テーマは「10連休について」
その子が書いていたのは、
10連休中、家にいる日は自主学習をやってみようと思う。どのくらい家にいるかは分からないけど、毎日やってみる。
おおおおおおおお・・・・・・
嬉しくて、すぐにお母さんに電話した。
本人に言わなくてもいいですが、様子を見てあげてください。と伝えた。
なんだかお互い気持ちの良い連休を迎えられそうだと思った。
これから自学のレパートリーが増えてくるといいなあ。
子供の柔軟性には驚かされる。
大人はこんなにすぐに変われる人はそう多くない。
本当に焦ってはいけない。
少しずつ、少しずつ